少年は、10歳のとき、天井をみていて、この天井の上はどうなっているんだろうと思うと、そのまま宇宙の果てはどうなっているんだろうという問いに変わり、すごく怖かった。
小学校では、いろんな活動に積極的で、学級新聞から冒険ごっこ、草野球までいろいろこなす外へ外への勝気な生活だった。2歳のころに、おねしょを隠して祖母に叱られたという罪悪感にふたをしながら・・・。
その少年は、その後、ある日突然、学校の授業中に声を失い、なにがなんだからわからなくなったままに、内面探索の旅にでかけた。
高校に入って、声は還り、内側に秘めたいろんなものごとがはじけていった。
ミニコミ雑誌に、映像制作に、その内面世界の表現がはじまった。
18歳を過ぎて外界に旅立つ頃、いまから思えば、未発達に自我が自立という物語をつむぎはじめた。23歳のころ、内面世界の旅が再開した。自分さえよければいいという利己社会が極まっている東京で、『トランスパーソナル』という利己を超える概念を取り組み始めた。
当時、C+Fという組織が、アメリカのニューエイジムーブメントの活動を紹介しはじめ、本の翻訳やワークショップなどの活動をしていたが、青年は、超越瞑想やホロトロピックブレスワークなどに触れて、内面世界の旅を深めていった。
浮世離れしていく寸前に、ほんとうのスピリチュアルはビジネスにあるんだということを仰るお方とご縁があり、脳にしわをきざみこむように、左脳訓練を繰り返した。
同時に、柔和な自我がみるみる肥大化していった。
起業ブーム。
欧米式のマーケティングを学んだ青年は、その成果を実証したいと、起業した。
テーマはそれぞれ違ったけど、3度の起業を経験して失敗という罪を重ねていった。
そしてその罪滅ぼしのためなのか、50を前にして脳出血を経験した。
これまで積み重ねてきたすべてが半ば強制的に離れていった。
いまから思えば、これは天の恩寵だった。
極端に膨張した自我が収縮していく、人生ではじめての経験だった。
いままで何でも「自分でやってきた」という勘違いが実はすべてまぼろしだったということが「何もできなくなること」によりわかったのだ。
「やってきた」ころの過去参照は何も役にたたなかった。
しかし、身体が回復するにしたがって自我も回復してきて、あの頃の「悪戦苦闘をすれば人生なんとかなる」という考えも浮上してきた。
過去の経験を総動員して社会復帰を目論むが、すべてが空回りになっていく。
人生は魂のレンズ磨き。
レンズに過去の曇りを再生するのでなく、その曇りを磨いていくことでほんとうに生が輝きはじめる・・・。
いきつもどりつ社会復帰という外への働きかけはおわり、ようやく本格的な内への回帰~インナーワーク~に専念することになった。
ホオ・ポノポノからセドナメソッド、四つの質問etc.
メソッドにはまってぐるぐるした後に、在り方にシフトした。
自我観照。
今年になって入ってきたキイワード。
キリスト意識。
非二元はここ十年ちらちらいろんな場面でご縁があったが、『奇跡の道』を歩きはじめることになっていった。
罪悪感から解放されて人生をこころから楽しむ。
非二元の流れは、最近ブームの感じだけど、自分にあっているのは、ラマナマハルシ、ラメッシの流れだった。自己観照という在り方に徹するなかで、世界に罪悪感を投影することなく世界にいきていく。
スピリチュアルとビジネスの融合。
眉唾ビジネスでなく、ビジネスがスピリチュアルに溶けこんでいくという感じなのか。
最近、ビジネスの世界でもマインドフルネスとか禅とか、内面と外面の統合の動きがではじめてきている。
罪悪感からの恐れからビジネスを展開していくのでなく、愛を基盤としたビジネス展開は、この罪悪感が満ちた世の中で、可能なのか?
ここ一年のインナーワークを通してこのインナーワークがミラクルワークに変容しようとしているいまこのさまをかきつづってみることにした。
ぼちぼちゆらゆらとね。
ありがとうございます。
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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