いのちへの、帰還。

昨年は、集大成がごとく、北は北海道、南は宮古島に至るまで移動距離はたぶん、1万キロ弱。テーマは、発酵で、起業だった。

過去10年のいろんな集大成的な年となった。その年は、『奇跡講座』という、アメリカのある大学の先生たちが、キリスト意識からインスピレーションを受けて遺した書籍のワークブックという365日そのインスピレーションの実践からはじまった。

この宇宙は、夢である。

この世界は、夢である。

この人生は、夢である。

これは、量子力学の世界でも、仏教の世界でも、いろんな哲学で表現されている。

病気を経験する前は、「だからどうした?」という態度で、ビジネスに没入して、悪戦苦闘を繰り返してきた。

いつも、そこそこまでうまくいくのに、だんだん八方塞がり、閉塞感。

その象徴が「病気」というかたちとなって表れた。

でも、その最中でも、いろんな前触れは訪れていた。『奇跡への道』というまだ奇跡講座が書籍として出版される前にPDFとして公開され共有された 翻訳文を手に入れては寝かせていたのだ。

そして、昨年そのなかのワークブックをthereisnospoonという別のサイトを使わせていただき1年かけて実践してきた。

同時に、炭素循環農法という微生物醗酵農法の六次産業化というテーマを追っかけてきた。

いのちをいかすビジネス。これが病後のテーマであり、微生物を活かす農業がビジネスとして発展すれば、それを扱うすべての人もいきいきといかされると直観したからだ。

365日を終えて、ワークブックはこれは終わりでなく、はじまりであるという説明があり、農業のほうは、ビジネス化することはなかったが、なにかやりきった感もあり、これもまた終わりではなくはじまりだった。

今年に入り、あれだけ外へ外へ移動してきた日々が一転して、内に還る日々になった。

行動してきたことすべてが内面で熟成発酵してるのだろうか?

なんとなく、1日1食が定着して、好きだったお酒も欲しくなくなった。別にストイックに何かを強いているわけでなく、外への依存が少なくなっていった。

クリシュナムルティ、ラマナマハルシ、ラメッシさんの翻訳本を読み進め、10月に入り、『奇跡講座』の本文31章を読み進めることになった。

昨日は、20章聖性のビジョン。

その出だしに、「今週は棕櫚(しゅろ)ではじまり、百合の花で終わる」という一文がある。「今週、私たちは死でなく、生命を祝う」聖週間だという。1年自己と向き合い、内面を深めてきたこととリンクしているような氣がする。

そうこうしているうちに、雑誌『ブルータス』の11/1号がアマゾンから届き、決定版開運ミラクルたっぷりの人生に!・・・なにかと眉唾としか見られなかったスピリチュアルの世界のいまが、みごとにまとまられている。外と内の融合が、もう社会的にあたりまえになってきているのだ。なんか、今週は、いろんな前触れが重なる・・・。

この雑誌のなかでは片岡鶴太郎さんのインタビューからはじまり、中野真作さんの「幸せはいまここにある。非二元論」に至るまで、よくもまあここまでという総力特集な感じがあり、感慨深かった。

そして、いま、この瞬間。

虚空から聞こえる「すぺて、大丈夫」。

無条件の大丈夫、無条件幸福宣言が。

ちいさな偽我が悪戦苦闘することに降伏すると、なにかおおきな存在にすべてゆだねざるを得なくなる。

他力。

利他。

個を超えて、その存在をまるごと受け入れたときに、おこってくること。

今週は、それをぼちぼち確かめる週になりそうだ。

0コメント

  • 1000 / 1000

日々あらたに、毎日が、祝祭。

これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。