そして、まようし、そして心配もする。

そして、怒るし、そして、笑う。

そして、それもまた過ぎ去る。

昔の物語を手放し、新しい物語を仕入れて、物語からは安心はこない。

世界は、物語で満ちている。

その一つ、ひとつの物語にいちいち反応してへとへとに、なる。

偶像崇拝という物語。

人間、生まれたときから、いつも、まようし、そして心配もする。

50にして惑わずというのは、うそだ。

50にしても迷いはあるし、そして心配もする。

いろんな持越しもあるし、反復もある。

またか、ということもある。

でも、そのそれぞれに、いちいち反応することなるすべてを受け入れる。

感情は、物語に在るのでなく、物語に反応すること、戦うことから生じる。

それは、いい感情も、悪い感情も、その裁きから産まれる。

裁きを手放すと、感情は、変容する。

消えたようになったり、拡大していったり・・・。

そのありようをこころからいつくしむ。

先行き不透明ないま、不透明だからこそ、救済がある。

迷いがあるからこそ、すくいがある。

もう、がんばるひつようは、ない。

あらがって、がんばること――たたかい――をやめたとき、おおいなるそれはギュっと抱きしめてくれる。信じるということは、幻想――物語――を真に受けて、信じていたそのこころの向きを真理に変えること。その思考を逆転すること。

偶像を信じているうちへ、そこにはいつも恐怖がある。

なまけものに、なること。

利他力。

おおいなるなにかにおまかせきること。

これは、

宇宙に。

これを神に。

ふたつとない、それに。

そこには、いつも愛だけが、ある。

なまけものは、なまけもののままでいい。

進化することはない、深化していくに任せなさい。

それがひとととしても厚み――存在感――になっていくのだから。

なまけもののさとりかた、軽快に、爽快に。

・・・

私たちはみな平等です。 そして宇宙とは、 私たちのお互い同士の関係です。 こんなことが現実に起こっているとすると、 私の意識はどのレベルにあるのだろう。 さからわないこと。 あるがままを愛しなさい。 今のままのあなたのままで、 できる限り愛しなさい。 私が意識しようとしまいと、 私は存在するすべてのものの源とひとつである。 私が感じていようといまいと、 私は宇宙のすべての愛と一つである。 愛という点について、自分の態度や行動を変えてゆけばそれですべてよいのです。 理由などいらない、ただ、愛しなさい。 すべての意識のレベルは、いま、この瞬間に、あなたに用意されています。 私が今かくあるのも、 すべて私たちの内に存在するものも顕れある。 どんな方法で悟っても、悟りには関係ありません。 どんなことをしていようとも、どんなことを考えていうようとも、そうしている自分をそのまま丸ごと愛してあげてください。 愛することは受け入れること、それに反応することではありません。 ただ、そうあることを赦すことです。 悟るために、前もってしなければならないことなど、何一つありません。 これを完全に広がった状態で味わうこともできるのだ。 この経験を神が下さったものとして、私は拒否しません。 他の人たちに愛されたいなんて、どうして自分は思っていたのだろう? 地獄でさえ愛することができるようになれば、あなたはもう、天国に住んでいるのです。 ありがとう、兄弟姉妹。 私の意識をここまで導いてくれたことに感謝します。

『なまけものの悟りかた』より

・・・



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日々あらたに、毎日が、祝祭。

これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。