静謐のなかに、内なる耳をかたむけてみよう。



そう、そのメッセージは、声でやってくるのではないんだ。

 エッセンス。

 声が止んだときに、わかる。 

声で説得するのをやめなさい。 

その声は、外野席の野次馬の声だ。 


[

しかし外なるものは内なるものの映しにすぎない。銘記するがよい。肉が望むものでも裡から供されるのである。しかし肉の物にはすべて終わりがあるが、御霊のものは久遠である。(心身の神癒10-121)


 静謐は、久遠だ。 偶像――肉――は、やがて、終わる。 

すべては過ぎ去り、すべてはやってくる。 


わたしは、肉の物を拒否せよ、と要求するのではない。肉体の中に宿っている間はそれは必要である。しかし御霊のものは更に一層重要である。(心身の神癒10-122) 


見えるものをすべて捨て去ることで内なる静謐はやってくるのでない、

内なる静謐に立つことで、見えるものに囚われることがなくなるんだ。 

見えるものに、一喜一憂することが。 


裡に完全なる静謐を保ち続け、外部の影響が心の奥に入りこんで自分をかき乱すことを赦してはならない。(心身の神癒10-114) 


そして、大切なことは、静謐をつかまえてとっておこうとするのは、おやめなさい。 


それは、とっておこうとすると、失われるし、ずっとそこにあったしこれからもあるのだから。


この瞬間、瞬間に、16ミリフイルムが次々と運ばれていくように、一コマに執着するのはおやめなさい。 その静謐は、静止ではなく、躍動したいのちの流れなのだ。


神のハートが、すべてのハートの中で躍動しているこのほんとうの愛のなかに入っていこう。


 「 奇跡は、肉体ではなく霊が真理の祭壇であるという自覚を、再び目覚めさせる。これが、奇跡のもつ治癒力につながる認識である。 」(T1:Ⅰ20) 


写真:イブキチエコさん

無邪氣に、生 ~ ミラクル・ワーカーはじめの一歩 ~

この人生、夢幻に眠り悪戦苦闘の50年。たましいの闇夜という変容のトンネルをひかりに向かって運ばれて、夢幻からじわりじわりと目覚めかけたこの瞬間。あらたな生が無邪気に躍動していくさまを綴ります。

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