真我がハートのなかに宿ると、神の愛と智慧と力とが生まれ、あなたたちを悩ますものは消え滅びる。なぜならば、真我はすべてに打ち克つからである(心身の神癒Ⅳ19)。
罪悪感のラットレースというこの閉塞感から自由になりたいというささやかな意志がまずは起きました。
でも、最初は自我はそれを許さず、興味を外へ、外へ、社会常識という固定観念へ向けて、「よい子だから、またラットレースに戻りなさい」と説得を始めます。
そして、二度三度くりかえしていくうちに、 「何かおかしい」 「もしかして別の見方があるかもしれない」 と想うようになりました。
でも、分離した自我の見方である限り、最初はその「別の見方」がわかりません。
どこからとなく、数隻、援け船が運ばれてきました。
そして、「恐れ」を手放し「愛」を選びなおすというプロセスが始まりました。
聖霊――おおいなる自己――とともに。 自我の「恐れ」の思考体系――咎めの六法全書――をめくりながら、咎めるその度に赦しながら、最初は矯正しながら、ぎこちなく、ときには抵抗し、時にはそれを閉じ、いったりきたりを繰り返します。
恐れたい習慣がやがて、愛する習慣にかわっていきます。
あなたたちの中に生き、あなたたちを導き、あなたたちの道選びを援助しているのはわたしである。わたしがあなたたちを促して唯一無二の生ける神の真理を認めるようにさせているのである。故に、わたしがあなたたちを愛しているように、あなたたちも互いに愛し合うがよい。(心身の神癒Ⅳ21-22)
そして、内なる分裂は、赦されて、癒されていきます。 取引がある特別な愛と憎悪の関係から、取引のない無垢な愛あふれる聖なる関係へ。 そととうち。 その境界線はもうそこにはありません。 今日は、2017年12月20日。 まもなく、お方の誕生日。 復活の日。 それは、わたしの復活の日であり、あなたの復活の日でもある。
みんな祝福されている。
「 奇跡は赦しの自然なしるしである。奇跡を通して、あなたは神による赦しを他の人々にまで延長させ、それにより赦しを自らに受け入れる。」 (T1:Ⅰ21)
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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