聖なる錨(いかり)。

 無意識豊穣の大海原に漂いながら、聖霊とともに、ここと決めたら、聖なる錨がおりていく。 


決断したら、あとは、聖霊にゆだねて、惑わない。  


もし、決断が間違っていたとしても、自ずと、正され、整っていく。 


 だから、いまこの瞬間に、決断しなさい。 


 いつか来るその日が来るのを待ち続けることはもうおやめなさい。 


「この事が、あなたたちを誘い、終わりなき光の流れに乗るもの、遂にその本源に到達するまで、前に前に進ませるのである」(心身の神癒Ⅵ71)  


そして、もうあなたは、進んで「いこう」と流れに逆らうことはしなくていい、その流れに信じてまかせていけばいい。

 聖なる丸投げだ。 

 これは、責任放棄ではない。 

 決断するということが、責任を果たすということだ。 

錨が下りたら、あとは、手出しはしない、手出しが邪魔になり、抗うことになることを知っているからだ。 


 決めれば、聖霊――ハイヤーセルフ――が喜んで生起を引き受けてくれる。 


空よ歓べ、地を祝え、海よ讃美を轟かせよ。地よ褒め讃えて果実を結べ。森の樹木よ、歓び歌え。久遠なるお方が在ます、久遠なるお方はその子とともに、地を統べ、世を正し、もろもろの国民を誠実に治めるために来たり給う。それが約束である。この約束は現に果たされている。(心身の神癒Ⅵ91) 

奇跡はあなたが作り出したものを被造物と比較し、被造物と調和するものを真実として受け入れ、調和しないものを誤りとして拒絶する。(T1:Ⅰ50) 

あほになって、いきるとき。おわりのはじまり。

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日々あらたに、毎日が、祝祭。

これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。