わかっていることなど、なにもない。

『幼子のようになりなさい』というのは、この新しい地では、あなたはいつも新米なのだから、古い地で培った記憶のすべてを忘れて、無限の可能性に描かせてみなさい、ということだ。 

自分が無限の可能性を描くのではなく、無限の可能性に描いてもらうんだ。 

心理学によると、人間には、顕在意識、潜在意識(夢見)、潜在無意識(夢もなし)の三つの意識状態があるという、阿頼耶識とか、末那識とか大乗仏教ではいうようだ、ハワイの伝承智慧だと、顕在意識がウハネ、潜在意識がウニヒピリ、潜在無意識がマナアクア、実相が、ディヴィニティ。 

というように、それぞれの伝承で表現は異なるけど、言っていることは共通している。 記憶のすべてを忘れて=記憶の再生するはたらきをクリーニングし、 無限の可能性に描かせる=記憶(一体から分離した経験)ことが本当の自己との出会いなのだ。 見えている世界なんて、全体の1%に満たない。その1%で右往左往しているのが人間社会だけど、99%を信頼してゆだねると、本当の智慧が働きだす。 その働きだす瞬間が、いま、ここだ。 「いま、ここ」という概念ではなく、「いま、ここ」そのものだ。 愛と感謝と謙虚さ。 この愛も、この感謝も、この謙虚も、過去の記憶で解釈したそれではなく、そのものだ。 記憶で解釈したもの以外は、わからない。 だから、幼子は、わかる存在に、無邪気に、ゆだねる。 わかっていることは1%わかっていないことが99%この氷山の一角のわかっていることは、わかっていないことに支えられいる。 その支えを信頼して、その支えと対話する。 『奇跡講座』では、何もひとりでは決められない。決める前にはいつも「精霊」とともに決断しなさいというようなことをいう。 わかったつもりの「わたし」は何もわかっていない。 だから、ほんとうにわかっているなにかとともに、決めていくとうことだ。 決断が、現象化する。 覚悟が、現象化する。 潜象しているものが現象する。 ここに創造の原理がある。 新しい地では、幼子になって、99%の智慧がはたらくにまかせない。 真人生の創造は、ここからはじまる。 そして、ものごとがすらりすらりとうまくいく段階になったときに、1%は勘違いして、1%だけがやったと幻想を肥大化させはじめる。 聖なる催眠中はこのメカニズムにもきづかないけど、のど元過ぎれば熱さ忘れるのことわざは、ものごとがうまくいかないことは、降参のふりをして99%の力に助けてもらい、うまくいきはじめたらその手柄をひとりじめする、エゴの姿を描いている。 おかげさまで、のおかげは99%の智慧を指していて、その智慧への感謝の在り方だ。 天狗になり傲慢とともにエゴが肥大化するのが、現代社会ではよくある誤りだ。 そして、そこに99%に標準装備されているおかげさまの在り方で誤りを鎮めていく。 自分一人で決めることが自立だと教わってきたその鎖から解放されていく。 途轍もなき智慧にゆだねていく。 わかっていうことなど、なにもない。 その智慧は、外(偶像)にはない、それぞれの内(実相)にゆだねていこう。 それぞれの内は、みんなの内につながっているのだから。    

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日々あらたに、毎日が、祝祭。

これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。