聖なる青写真。

過去の記憶を丁寧に、赦し忘れていけば、次第に、生まれる前約束してきたことを思い出してきます。何度も何度でも、遂げたかったけど、諦めてきた道がそこにあります。 向かい風に立ち向かいながら、迂回してきたその道は、努力の道でした。諦めたそのときに、すでにそれはありました。


 「 真の祈りは、願いを叶えてもらおうとして求めるという落とし穴を回避しなければならない。そのように求めるのでなく、すでに与えられているものを受けることができるように、すなわちすでにそこにあるものを受け取れるようにと、求めなさい。 真の祈りの秘訣は、あなたが自分に必要だと思っている諸事を忘れることにある。具体的なものを求めるということは、罪を咎めておいて、それからそれを赦すのによく似ている。(『奇跡講座』付録祈りの歌) 」


 真の自己を探し続けて旅に出た日々、紆余曲折を繰り返しながら、真の自己と必ず出会えることを求めながら、それを「恐れて」いたことにきづきます。 生まれる前に、約束してきたこと。 この思考以前に、あった思考。 


 真の人生。 真の至福。 真の歓喜。 真の愛。 


外から仕入れて比較しながら導き出してきたそれではなく、裡から湧き出る静かなる情熱。  


アワ:「夢の中で透明な何かがでてきて、細胞ひとつひとつから何かが剥がれ落ちて、すごくこわかった」 


サヌキ:「それが聖霊さんなのかもしれないね」 


大人になるにつれ、誰もが、夫の仮面、妻の仮面、父親の仮面、母親の仮面、息子の仮面、娘の仮面、職業の仮面、役職の仮面、いろんな機能の仮面を取り換えながらそれに同一化し、縛られならがいきていきます。 いい人を演じる。いい夫を演じる、ニコニコしながら、外へ、外へ。 隠れた何かを誤魔化しながら・・・。  


幼子のようになりなさい。

幼稚でなく、無垢に、無邪気に。


こころから人生を愉しむというのは、自分のすべてを正直に見ることからはじまります。 

何も足さず、何もひかず。あるがままの自分を正見します。 こころのあかは、身体のあかに投影されて取り消されます。 今日、ひさびさに宿便がどっとでました。 なにか、こころがすっきりしました。

生まれる前に約束してきたことって何だろう。 


おしゃべり妖怪は、答えます。 

「それはね、しあわせになることだよ」 

サヌキ:「穏やかな毎日、なにも求めなくてもしあわせ、もうそうなりたかったことができているから、何もいらない」 

おしゃべり妖怪:「で、このまま何も進化しないで、老いていっても後悔しないのか」 

サヌキ:「じゃ、また苦闘しろっていうの?」 おしゃべり妖怪:「苦闘して成し遂げるから、人生はいきがいがあるんじゃないか」

 サヌキ:「それ、繰り返してきたけど、そこそこまではいくけど、結局最後は負けてしまうんだ」 

おしゃべり妖怪「人生七転び八起き、9回負けても、10回目で勝てば丸儲けだよ」 

なにか、こころのなかで悪魔と天使が交互に会話しているような感じにいつもなっていきます。

悪魔を勝たせてはいけない。 天使も勝たせてはいけない。 

その会話を咎めている限り、いつもとれば生きるか死ぬか、勝つか負けるかになる。 

その咎めを、咎めずに、観る。 観る誰かなく、観る。

 煩悩即菩提なり。 

人生、生老病死の過ぎゆくさまざまな出来事を通してまあるくなっていきます。


 生まれる前に約束してきたことって何だろう。 

聖霊は、具体的なことには答えません。 生まれる前に約束してきたことは、思考でも手繰り寄せることはできません。 あるヒーラーさんに聞いてみました。 アカシックレコードにすでに書かれていること。 


あるヒーラーさん:「見えるけど、言ってはいけないと言っています」 

サヌキ「はぁ???」


 外に頼ってはいけません、それは依存です。 裡に頼ることが、真の信頼なのです。 裡に頼ることは、裡をただ、観ること。こころの目で感じること。 質問を虚空に手放し、質問を忘れること。  


巨万の富を売ること。 経営者として有名人になってひっぱりだこになること。 心身ともに、健康になること。 温かい仲間に囲まれること。

 おしゃべり妖怪は、その青写真を答ようとします。 


それら全てを得ても、まだ得られないこと。 

もっと、もっと、もっとともっとが繰り返されていく。 得ることが得ることを邪魔してる。得ることはすでにあるすべてを受け取ること。無いものを求めても、そこには何も無くなる。得たようでそこには喪失感が漂う。

ハングリー精神が必要だという「他人」もいます。

 今、思います。 

ハングリー精神というのは、自我が肥大化していく過程では必要だけど、自我が解体されていく過程では、邪魔になること。

 いつも欠乏、恐れから行動する自我は、それを得てもいつも不満を抱えています。 

不足を観ていると、さらなる不足がやってきます。

 

「吾唯足知」 われ、足るを知る。 


満足していると、さらなる満足がやってきます。 

幸福を受けいれると、さらなる幸福がやってきます。

 これじゃだめだ、これじゃだめだと自分にダメだししていると、結局は、自分そのものへの嫌悪をつくりだしてしまいます。 

どんな自分も、これでいいのだ、これでいいのだと、人生にイエスとつづけていくと、すべては愛に変わっていきます。

 生まれる前に約束してきたこと。 

それを思考に頼らない、ビジョンに拓く。 


 受け取ること。 愉しむこと。 情熱が萌えること。

 誰かと競争して、戦って燃え盛る情熱ではなく、裡から湧き出る静かなる情熱。 思考に頼らない、ビジョン。 インナーワークのなかから自ずと顕れる、これ。 みえない土のなかの種が、菌ちゃんたちに育まれ、顕れる、これ。 潜象から現象へ。 12月22日は、一陽来復。 静かにその瞬間を、待っています。 

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日々あらたに、毎日が、祝祭。

これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。