みたくないことってある?
社会にくらしていれば、最初にあること、
憎悪。
嫌い。
醜さ。
貪り。
欠乏感。
えげつないこと。
つめたさ。
孤独。
寂しさ・・・。
そして、嫉妬、
自分にないものにふれたとき。
反応する、批判したくなる、それらたち。
批判すればするほど、隠れていく。
そうしたら、これが奇跡の瞬間になる。
そのありのままを正直に目をそらさず、観る。
ささやかな勇気。
ささやかな意欲。
感じるに近い。
ふわっと、何かが抜ける。
すべては過ぎ去っていく。
何かが、そして、追っかけなさい。
なんだっけ?
思い出そうともしない。
まっいいか(笑)
そうして 赦し は深まっていく。
いつも気づかなければいけないなんて闘いモードはいらない。
あなたにはすでにきづくべきときにきづくことが起こっている。
開き直りそうになった時、正当化しそうになったとき、それは起こる。
咎めず、裁かず、観る。
価値判断なく、観る。
静かに、穏やかに、冷静に、観る。
深刻にならず、気楽に、微笑みながら、観る。
繰り返し、繰り返し、繰り返し、第二の天性になるように、観る、を深めていく。
「
奇跡による主要な貢献は、孤立、剥奪感、欠乏という誤った感覚からあなたを解放する、その強さである。
」(T1:Ⅰ42)
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
0コメント