ときには、籠ること、おうちに還ろう。

休息日、それは籠ること。

おうちに還る日。

還るときは、ひとそれぞれだ。


ひきこもりの人が増えているってことは、インナーワーカーが増えているということ。 

それを悪いことだと、抑えなさんな。 

 抑えれば、別のカタチとなっていずれまた顕れるからね。 

そのとき、そのとき、最善が起こっているんだ。 

籠る、その時は、矮小さを手放し、偉大さにかえっている。


「 

天国はあなたたちの裡にある、このことは世界中で宣べられてきているが、その深い意味を理解している人は僅かしかいない。 あなたたちがわたしのこの話の深い意味を把握するならば、それに伴う力も把握することであろう。内界にこそ至高者は宿り給うからである。あなたたちの中にまします全能の神は強力であり、それ故にたじろぐことはない。神は最も偉大なるものよりも更に偉大である。神は大天使の理解をさえ超えている、しかしその神があなたたちの中に住み給い、その住み処があなたたちの裡なる天国といわれているのである。 

」(心身の神癒Ⅷ3-5) 


 昨年、後半からは、その裡に向かい合う日々が再開した。 

「わたしは一歩退いて、神の先導にしたがう」 でも、抗う。 

 「どうやって従うのかわからない」と。


  神は、命令しないし、強要もしないし、具体的でもない。 

それは「声」で先導するのでなく、フィーリングで先導するから、思考を鎮めておくことが大切になる。 インスピレーションは、言葉を超えた、言葉だ。 

戯言を鵜呑みして巻き込まれて、塞がっていったのは、偽我の声を信じていたからだ。 

恐怖に塞がるという再生を終わらせたかったら、

いつも、目的を愛と赦しにあわせなさい。


毎朝、めざめたときには、今日、1日を愛と赦しの日にすると、宣言しなさい。


ただ、それだけでいい。


そうすれば、いつも結果は、愛と赦しになりすらりすらりとひらいていく。


偽我の声は、いつも過去参照だ、それを未来に投影する。

 後悔と、不安。 

後悔には後悔をさせておきなさい。 

不安には不安をさせておきなさい。 

これも、ありのままにあるがままに、ただ見送りなさい。 

繰り返しやってきて、 

「またか?」 

なんて声が聞こえてきても。 

巻き込まれない=反応するのをやめる。 

ただ見送りなさい。 

やがて、静かになっていく。 

おうちに還りなさい。


 「 どんな形にせよ、あなたたちが、お互いに分離しているならは、それは決して完全にはあなたたちのものにはなりえない。あなたたちが自分自身の奥深くを探るならば、其処にはあなたたちのハートの扉をたたいて入室しようと待機しているわたしがいるからである。そしてこのことはすべての魂のなかで起きつつあるのである。 」(心身の神癒Ⅷ9)

 

 お還りなさい。 

 そこに留まり、味わいながら意識をひらいていきなさい。 


「 奇跡はあなたを通して神を賛美する。神の被造物たちを尊び、彼らの完全無欠性を肯定することにより、神を賛美する。奇跡が癒しをもたらす理由は、肉体(偽我の声)との同一化を否定し、霊(真我の声)との同一化を肯定するからである。 」(T1:Ⅰ29) 

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日々あらたに、毎日が、祝祭。

これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。