自由、平等、博愛・・・。
ユートピアは、いまある?
自由に縛られ、 平等に縛られ、 博愛にしばられて、その観念にしばれて生きている、今。
世界は、自分さえよればいい――じぶんファースト――に傾いている。
その源は、恐れだ。 何かみえない敵から、じぶんを守ろうとして、またみえない敵を再生しつづける滑稽。 自由、平等、博愛は、血の革命で、勝ち取られた権利だ。
それはいまは義務となった。 天賦のほんとうの人権って何だろう。
それは言葉にならない、
智識と慈悲だ。
だから、もう、コンセプトに頼るのはやめちゃおう! 自由の国の富の90%が1%の人に握られている。偽りの自由=憎悪寡占の国。
憎悪の国は、いつも敵を必要とする。
今、日本は岐路にたっている、
日本という国も、闘いを繰り返してきた。
闘うごとに、その罪と罪悪感と恐れは意識の奥底に隠れていった。
北の国、高砂貝塚の闘い。縄文時代末期の闘い。 弥生時代、スサノオのヤマタノオロチの闘い。 青谷上寺地遺跡の大量虐殺。 邪馬台国と狗奴国の抗争。 書きながら、赦していく。 農耕民族だから闘わないのでなく、内戦を繰り返し、日清、日露、世界大戦と外へ外へ投影していく。
これらすべて、加害者―被害者の二項対立の再生。
生きるか、死ぬか、闘うか、逃げるか、ふたつにひとつ、振り子は世界を振れていった。
スポーツ競争、偏差値競争、企業間競争、いじめ・・・。
いまもどこでも闘いはある。
それら、すべてが、罪滅ぼしのための闘い。
もう、見えない何かから守る必要などないのだ。
日本は岐路に立たされている。
日本は、日本ファーストにならない氣がする。
日本というエゴは、縮んできている氣もする。
二番じゃだめなんですか?
いまや、三番。 それでいい。
闘いは、もういい。
そんな朝、御手が差し出されていた。
何度も繰り返されてきた内なる闘いが、ここに終わった。
罪重ね、罪滅ぼしの輪廻が、ここに終わった。
新しい世界は、恐れにまぶされたユートピアではない。
ここからの三年間は、これまでの3万年に匹敵する。
トランスパーソナル、自虐なく、犠牲無く、個を超えるということ。
在る、ということ。
あなたのくるしみは、わたしのくるしみ。
わたしのよろこびは、あなたのよろこび。
ハートアルケミスト。
あなたのくるしみひきうけて、あいになっておかえしします。
恐れのアイデンティティ=偽我。
愛のアイデンティティ=真我。
これは、最初で最後の二項だ。
真我を忘れて偽我とごいっしょしていたあなたは、真我を思い出し、真我とともに歩んでいく。
偽りは、見極められて、きえていく。
あなたは、消えない。
あなたが目覚めていく。
そして、不二に目覚めていく。
不二は不死に目覚めていく。
富士は晴れたり、日本晴れ。
新しい世界は、愛一元の実相世界。
貧しさ(不満)を信じる人は、ますます貧しくなり、富む(満足)ことを信じる人はますます富んでいく。
みためが富んでいる人たちもそれを守っている限りは、失うことをいつも恐れていなければならない。貧しさの正体というのは貪りのこころであり、富みの正体はいつもわかちあうことだ。
失うものなどなにもない、守るものなどなにもない、それらは既に与えられている。
そのことにきづくだけでいいのだ。
「
私がすべての奇跡を喚起する。それは実際にはとりなしである。奇跡はあなたの聖性をとりなし、あなたの知覚を神聖にする。物理的法則を超えたところにあなたを置くことにより、奇跡はあなたを天界への領域にひきあげる。そこでは、あなたはまさしく完全無欠である。
」(T1:Ⅰ32)
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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