新世界のひびきは、手垢にまみれていない、無垢ななにかだ。
思考をこねくり回して、何がしたいか、好きなことってなんかのかって、過去しそこねてきたことをまたもがき探しても、もう何も見つからなかった。
思索は創造することはできない。
比較したり、分析したり、するだけだ。
直覚智は、創造を促す。直観は、神のビジョンだ。
そして、新鮮な毎日がやってくる。
そっか、これがやりたかったんだ、ということが向こうからやってくる。
分析、思索を通してはまったくわからないそれ、 無分別智。
新たな人生をこれから創っていくのでなく、見えなかった新たな人生のほうからあなたに握手を求めてくるのだ。
新世界のひびきと握手しよう、
新世界のひびきに応じていこう。
新しい人生があなたを通して表現することを赦していこう。
もう抵抗はできない。もう抗えない、あなたはすでに幸せなのだからね。
「
わたしの見るものや知っていることをコトバであなたたちに伝えることはできない。しかしあなたたちの裡に霊があり、それが永遠の今現に存続している栄光をあなたたちに啓明するであろう。
」(心身の神癒Ⅱ15)
神は、いうだけ番長ではなく、手取り足取り、直接の実経験を通じて、それを教えてくれる。
そしてその経験を通して「そっか、これがやりたかったことだったんだ」ということがわかるようになる。
ハートに静かなる歓びが響きあう。
幼子のようになりなさい。
「
あなたたちはありとあらゆる愛と生命の中心より流れいずる大生命によって新しく創造することができる。かくして神の意志が天におけるがごとく地においても為される。しかも それをあなたたちの中で今為しうるのである。見えるものと見えないものとの間に或る壁があってわたしたちを引き離しているように思われるが、それは事実ではない。自分の心の中以外には障壁などないのである。互いを隔ててる障壁は心の中のみにあるのである。ではこの障壁、隔てを、理解と愛によって除くがよい
」(心身の神癒Ⅱ20-21)
恐れという障壁、見えないものは怖いという障壁、無価値感という障壁、
ひとつひとつを愛にかえていこう。
それを、わかっている存在――聖霊――とともに。
あなたは、ひとりじゃない、聖霊とともに新しい人生に応えていこう。
愛からの創造は、こうしてすでにはじまっている。
「
奇跡は愛の表現である。しかし、必ずしも常に目に見える効果があるとは限らない。
」(T1:Ⅰ35)
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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