待つということ。 待たされるということ。
じゃ、次ね・・・。
と延々に次に期待する。
次なるなにかは、ない。
ないと、また何か次を設定する。
そこまで、我慢する。
そうして、あなたはいつの間にか「つぎ」の犠牲者になる。
冬至、春分、夏至、秋分・・・・。
次から次へとそれは過ぎ去っていく。
次への期待から自由になろう。
見えないから次を妄想するのは、もうやめよう。
次は、まぐれなんだから、好奇心をもってただ予期するだけにしよう。
まぐれがあってもいいし、まぐれがなくても、いい。
どっちでも結果は、間に合うようになっている。
気楽。
「
裡なる実相を、その驚くべき愛と平安の力を、外に顕現せしめよ。全宇宙を貫いて存する創造原理は人間の目には見えず、天使たちの目にも見えないが、ありとあらゆるものの中に在する実相として、形成過程として、創造原理として実存し、それによって一切の目に見えるものが現れ出でるのである。故に、無智と恐れとで裡なるものを曇らしてはならぬ
」(心身の神癒Ⅱ13)
見えないから、ないのでなく、見えないなにかを確信しよう。
その驚くべき、愛と平安の力を。
愛と平安から創造されていく様を、受け入れてみよう。
「
聖霊が誤りを虚偽または非実相として識別するので、奇跡は誤りを溶解させる。これは、光を知覚することにより闇は自動的に消え去る、ということと同じである。
」(T1:Ⅰ39)
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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