インナーワークの恩寵は、計り知れない。
恐怖から動いていくこと、守ることにあくせくしてきたことから目覚める時、「このままじゃダメになる」という脅迫系の、その戯言がまず、気にならなくなる。
自我を観察していくことが深まっていけばいくほど、いろんな後悔、不安の思考が振り子のように振れて、見るな、眠っていればいいと、恐がらせ、何かから目を逸らさせようとしてくる。
エゴ、解体のプロセス=断末魔、という幻想。
これまでやってきてうまくいっていたことがすべてうまくいかなくなる。
一見ひどくなっていくように見える。
魂の闇夜、夜明け前が一番暗い。
古い自己イメージの解体。
蝶の羽化以前、さなぎのなかにはもう幼虫(古い自己イメージ)はいない。
そして、恐怖からの行動は、愛と赦しからの行動にじょじょに変わっていく。
愛と赦しという目的が、愛と赦しという形象に反映してひとつになっていく。
何をしたいか、からどう在りたいかが大切になってくる。
人生をこころから楽しみたい、
ということは、今を心から楽しむことでさらなる楽しみがやってくる。
聖なる瞬間、ここ、いまに、いつも在ることだ。
新世界は、ここからひらかれていく。
「 真の成功と言える行動は条件づけられた無意識の思考であるエゴからではなく、研ぎ澄まされた観察と関心の場から生まれる。 」(エックハルトトール)
そうだよね。 ここでインナーワークが生きてくる。
咎めず、裁かず、観る。
価値判断なく、決めつけず、観る。
静かに、穏やかに、冷静に、観る。
深刻にならず、笑って、観る。
そして、観るを感じる。 静謐が訪れる。
インスピレーションを有形無形(時にはコトバなって、時には感覚になって)に受け入れる。
「聖なる対話を事業化しよう」 、99%と1%、一の声は、何を意味しているのかはわからない。
で、アクション!
今回はあなただけの孤軍奮闘でない。 聖霊とともに在る。
それはいつもたのしい共同創造になる。
経験となって、その答えを魅せてくれる。
「
聖霊は奇跡が起こる仕組みである。聖霊は神の被造物たちとあなたの幻想の両方を認識する。選択的にでなく全的に知覚する能力により、聖霊は真実なるものを誤ったものから分離させる。
」(T1:Ⅰ38)
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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