無条件の愛。

「 あなたたちの内なる意識が少しでも「無限なる意識」(普遍意識、純粋意識)から離れれば、無限者は無限ではありえなくなる。地上における一個の生ける存在であるあなたたちが神から離れるならば、神は無限ではありえなくなる。人は自分一人で生き得るものでなく、何処にいようとも神よりの分離なるものはないことを、今こそあなたちは明確に悟っただろう 」(心身の神癒Ⅵ16) 


あなたがたがこの世に生を受けたその時、狂った考えが忍び込み、あなたは無限なる意識から離れて、神のようにふるまいたいと思った。

それからあなたは無限でなくなり、孤独となった。 

もともとひとつが分離できたというその間違いを、あなたが間違ったことだと素直に認めて、取り消す在り方が赦しの実践だ。 

間違った自我から起こりつづける思考をただ観る。 

すると思考はひとつの源から起こっていることが観えてくる。 

次の思考はどこから来てる? 

意識を向ける。 

一瞬、静寂なう。 

そう、この静寂こそが、思考のふるさとなんだ。 

そして、思考はぶくぶく、この源からはなれるたびに、恐れをまとって、観念となっていく。 

なだめたり、すかしたり、おどしたり、なぐさめたり・・・。 

でも、離れた思考そのものには、赦すちから、癒すちからはないんだ。

離れたゆえに。 

 それは過去、未来への逃避行をしていく。 

 そして、ふと、きづく。 

 いまこの聖なる瞬間で、その思考を赦す。 

咎めず、裁かず、観る。 

価値判断なく、観る。 

静かに、穏やかに、冷静に、観る。 

深刻にならず、微笑みながら、観る。 

これは、もうひとりのほんとうのあなた(聖霊、ハイヤーセルフ)の観方だ。

ただ、偽我=思考を観ることによって、赦される、癒されていく。 

ほんとうは、あなたは神から離れたことはなく、神が創造したままのあなたなのだ。

神を攻撃したことはなく、今でも神を愛している。  

あなたは、ひとりでない、ひとつなのだ。

「奇跡は、誤った知覚の程度を区別しない。奇跡は知覚の訂正のための仕組みであり、誤りの程度や方向とはまったく関係なく効果を発揮する。これが奇跡の真も無差別性である。(T1:Ⅰ49)」  

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日々あらたに、毎日が、祝祭。

これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。