再臨。

聖なるひかり。

この光りはもう覆い隠すことはできません。なぜならば、神の愛と智識とがあらゆる挙措(きょそ)動作、口より出るあらゆる言葉に出てくるからです。

こうしてあなたたちは、天啓を受けた魂と成ったのです。 

 あなたたちの中に増します全能の神は強力であり、たじろぐことはありません。不動不惑なのです。そして、神は最も偉大なるものよりもさらに偉大な途轍もなさなのです。

神は大天使の理解さえ超えています。

この驚嘆すべき真理を把握しただ認ることができるなら、あなたたちはもう離ればなれでいることもなく、孤独になることはありません。

そこには合一感があり、

一体感があるのみなのです。

この真理を認める者にとってはそれは久遠にして普遍です。

 眼光紙背に徹すということ。  

おしゃべり妖怪のうわべのつぶやきには惑わなくなること、それについての解釈、決めつけ、説明などなどの一切の反応に囚われることなく、そしてそれに抗うこともなく、それそのものを見極めよう。

  あなたたちが聖書その他なんであれ天啓を受けた書、特にあなたたちの瞑想に資するためにわたしたちが与えてきたこれまでのさまざまな法話を読むとき、言葉の背後にみ霊を求めよう。求めることは、文字や言葉ではなく、眼光紙背に徹することなのです。

そうすればわたしはあなたたちに霊感を与え、文字や言葉の真理そのものをあなたたちの中に現わすことになるでしょう。

しばらくの間、戯我の声に慣れきっていたあなたは最初は戸惑うでしょう。

もう苦しむことはできない、あたかも何かが瓦解していく恐ろしさを感じるかもしれません。

これが最後の聖戦となるでしょう。でも、もう、闘う必要などありません。

最期の聖戦は、太初の和解なのです。

もう、恐れを糧にすることができないとわかったいま、ほんとうの糧が天から降りてきます。

めしあがれ。

 あなたたちの多くが天からの直接のみ声にはまだ慣れていないことはわたしも知っています。

このみ声が聴けるのは静謐の中に浸っている心、この聖なるの瞬間おいてなのです。

(心身の神癒私釈)

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日々あらたに、毎日が、祝祭。

これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。