あのやりきった感覚は過ぎ去り、ありきった感覚が還ってきました。
みたことも、きいたこともないのに、なにか懐かしいかおりがする。
なぜだからわからないけど、これが、そうだとわかっている。
そうか、闘いをやりきったと朝起きて、何度も終わらせてきたことは、何もやりきってなどいなかったんだ。
もう繰り返すことなんていらないけど、別の見方でやりなおすことだってできるんだってね。
あの人が言っていた、あの言葉にはもうすがらなくてよくなる。
全部、ぜ~んぶ、この裡にあるんだ。いろんなお方が伝えたかったこのこと。でも伝わらなかったこのこと。
この一瞬への帰省。
このすって、はいてが起こるもとへ還る。
この鼓動のおわりのはじまりのところ。
カムながらの道なき道。
食べること、記憶を食べている。
生きること、記憶を生きている。
その記憶のありかから解き放たれるところ。
誰から教わったこともない、ところ。
戯我がみたことあるから安心しているという嘘の安心でなくてね、
ほんとうに平安でいられる、ところ。
転がり出でる。
動く、動く、動く、動く、動く、動く。 動きに任せる。
無我って、時空などなかったことにきづくこと。
巻き戻すことはない、おし進めることもない。
この3年間は、3万年。
この1日は一億年。
凝縮したなにかがはじけるとき。 赦す。 赦す。 赦す。
赦しがその輪廻をおわらせてくれる。
そして、その輪廻も、いずれ終わるのです。
人生をあるがままに楽しむ、
記憶に執着せずに、 いつもこの源の定位置から、あるがままに楽しむ。
何もしなかったっていうのは、新しいカルマをつくっていないということ。
何かをしてきたというのは、新しいカルマをつくったということ。
そして、今度は何を繰り返すか、あなたにはわからない。
今日も一日、聖霊とともに、そのわからないなにかを赦していこう。
もう、わくわく、どきどきは、静かな楽しみ、落ち着いた歓びにかわってる、でしょ?
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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