ブロックチェーンの天啓。

ビットコイン長者が出ているそうな。 

ほんとうは、ビットコインの源泉=ブロックチエイン技術って、無限の可能性をもっているけど、今のビットコインは、肥大化する欲望=投機の対象=欠乏意識の裏返しなんだ、 だから、いつも犠牲者=損する人がでてくることになる。

だから、加害者対被害者の構造が浮き出てきて、やってもやっても、心は虚無になっていく。 

そして、そんなはずはないと思考し、さらに深みに入っていく。

観てる方向が違うんだよ。

結果をいくらいじっても、さらなる問題=犠牲者被害者を産み出すだけだ。

でも、その源=原因に向きなおしてみると、自律分散の思索、昔西垣さんという情報技術のカリスマが仰っていた、自律分散が、形になったひとつが、ブロックチェーンであり、

ブロックチェーンって、普遍意識の恩寵なんだ。 だから、結果は「互恵」になるはずだ。

ほんとうは、すべての対抗(加害者被害者)、差別、格差、罪悪、嫌悪が取り消される、奇跡の技術なんだ。 

でも、既存の組織には、それが途轍もなく脅威に見えて無意識に叩いていくことになる。 

 銀行、証券会社、金融資本・・・。 勝か負けるか、生きるか死ぬかの幻想のラットレースからの目覚め。 その道具になるのが、ブロックチェーン技術=マワリテメグルスベ。  

だから、これを観念で古い枠組みで閉ざさずに、すべての先入観を手放して、かかわっていく。 起業。 もし、キリストが起業家だったら、愛と赦しからすべてを創り出すだろう。 キリストはいまのキリスト教のキリストでなく、おおいなる存在とかハイヤーセルフとかサムシンググレートとか、いわゆる神の観念から離れて言い方は適当に変えてもらっていい、いわゆる臨在、在る、だ。  

すると、起業は、歓喜となる。 

創造するためには、銀行、資本家、株主??? アーリーステージ、ギブアンドテイク、株式上場・・・。 クラウドファンディング・・・。 

これまで信じられてきたその観念がアップデートされていく。 

本当は、尽きることのない、それをただ循環させていくというシンプルさ。

そこには、損もないし、「徳」だけがある。

学びを手放し、記憶を手放し、天啓にこころのみみを傾ける。 

それはもう探さなくても、すでに、ある。そして叩かなくても、開いている。  

黎明のひとときに、その静謐なつぶやきのなかから聖なる発明にきづきていく。 

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日々あらたに、毎日が、祝祭。

これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。