カムに、全てを託するということ。

 神は、あなただけに、願いを叶えてくれる、特別な神。

その祈りはいつも欠乏に捧げられている。

そしてまたあらたな欠乏がつづいていく。 

神は、みんなの、願いをかなえてくれる? 

普遍の神は、その欠乏からの解放を、既にすべて与えられていることをきづかせてくれる。

ありがとうございます。

ほしい、ほしい、を手放して、あかげさま(カム)が在ることに感謝する。

ほんとのカムナガラの道。

みえないすべてを観方につけて、 みえないすべてをゆだねていく。

起こってくること、を手柄にしない。

これはゆだねるけど、これだけは手綱をひくなんてもういわない。

すべての手柄を放棄する。

だって、もう認められることなんて、いらないから。

もう認められていくことに、認められつづけていることに、目覚めたから。

何もない誰かに認められることはもういらない。

なにもない誰かの期待にこたええる必要はない。

その期待は、互いに投影しあって、互いに縛りあう、おおいなる幻想だ。

投影。

過去の記録が、未来の記憶に映し出される。 

この生のなかで何度も死と再生を繰り返し、輪廻転生していく。

あなたが、あなたに投影されてそれを間に受けてそれに呪縛される。

過去のみんなが、今のあなたに過去のあなたを投影して、あなたは今から過去に連れ出される。

過去否定していきたことが外に映し出される。

内的状況の外的映像を観ながら、一生懸命に映像だけを変えようとする虚しさ。

ただ、それを選んだという後ろめたさをうけいれ、それが間違っていただけなんだって赦せばいいのに、意固地になる。 あなたの罪を、誰かに映し(移し)、その罪があなたにないと正当化する。 他人を悪化して、自分を正当化する。 加害者と被害者をつくりつづける。 

他人のことばを個人的に受け取らなくていい。それは他人の手垢にまみれた他人の思い込み(幻想)なのだから・・・。

やがて、カムの恩寵がどこからともなく起こってきて、そのからくりに目覚める。 

その自縛自虐のからくり劇場のざわめきから身を引いて、この静謐のなかにくつろぐ。

この静寂の智慧――至福――にすべてをおまかせする。

あなたは、それに従えばいい、従う歓びを、こころから味わえばいい。

至福に従いなさい。すべてを至福におまかせしなさい。

それが、ほんとうにあなたが顕したことをすべて知り尽くしてくれていた在るそのものなのだから。 

それがほんとうのカムながらの道にすべてをお任せするということなのだ。

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日々あらたに、毎日が、祝祭。

これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。