その瞬間の、恩寵。

思考を信じ込むのをやめて、思考を確かめてみなさい。  

ちょっと確かめれば、わかるけど、 

その思考は、「あなたのものでない」。 

その思考は、「誰のものでもない」 

でも、あなたはそれにしがみつこうとする。 

それに、反応しようとする。 

それに、拘ろうとする。

思考に、拘れば、拘るほど、狭い袋小路に入り、苦しくなる。

そして、観るに任せる。

気づきが起こる。

そこには、一瞬のあなたがいる。

 その一瞬のあなたを観たらもう、すでにそのあなたはいない。 

そして、またあたらしい、あなたがいる。

その思考は、更新しつづける、一瞬のあなたから目をそらす。

記憶の欠片だ。

上澄みだった、分離した記憶の欠片は晩秋の木の葉のようにひらりひらりと落ちていき、ひとつの記憶のなかに溶けていく。 ひとつの記憶があなたの中からあらわれる。

すると、ときとところがひとつになっていく。

一瞬が、あなたになる。

そこには、ただ、歓びがあるだけだ。

どこからか離れていた想いが入ってくる。

その想いは、あなたの手柄でもなく、あなたのせいでもない。 

だから罪悪感はもうそこにはないし、自慢することもない。

そうして、思考との関係がかわってくる。

思考は、いまここで在り続けることができない、 

いつも、過去のことか、未来のこと、ここでなない、あそこの話でいっぱいだ。

 感覚は、いつもいまここだ。 

いまここという言葉でなく、

いまここそのものだ。

ただ、その呼吸を感じてみよう、

ただ、この肌感覚を味わってみよう。  

咎めず、裁かず、生きる。 

価値判断をせず、生きる。 

静かに、穏やかに、冷静に生きる。 

微笑んで、深刻にならず、生きる。 

 大丈夫、全ては間にあうようになっている。 

やすらぎが、ここにある。

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日々あらたに、毎日が、祝祭。

これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。