時という機械。 過去から未来という幻想。
過去を繰り返し、再生していく。
過去というプログラム。
人類に蓄積したプログラム。
過去を繰り返し、再生していく。
その幻影をつかって、いのちにいぶかせる。
それが再生から復活への奇跡だ。
時計仕掛けの道化師は、幻影のなかを戸惑う。
はじめはみようみまねで、あらゆる罪を重ねながら、あらゆる罪を滅ぼしていく。
喜怒哀楽。
生老病死。
怨憎会苦。
愛別離苦。
求不得苦。
一喜一憂。
罪悪感、というオペレーションプログラムとダウンロードして生まれてきた道化師は、
そのプログラムを駆使して、罪悪感の無数の欠片をこの世界に映し出す。
恐れという幻想をエネルギーを産み出しながら、振り子のように左右、前後に振れていく。
ワクワクは過ぎ去りドキドキになり、よろこびは過ぎ去りくるしみになり、すきは過ぎ去りきらいになる。
すべては過ぎ去りその反対のなにかがやってくる、そしてまたそれも過ぎ去る。
拡大、維持、縮小をくりかえす。
振り子は、思考だ。
間違った、思考だ。
恐怖という間違ったプログラムをダウンロードして、誤作動しつづける。
それが、今のこの世界だ。
みせかけの虚栄の笑顔の下には、虚無の恐怖が見え隠れする。
ポジティブはいつかネガティブになる恐怖を隠しながら、妙な明るさを放つ。
自分で好きな人生、思い通りの人生は、神への裏切りという後ろめたさを覆い隠し、すっかり忘れて、演じられる。
ほんとうは、思い通りにいきているように思わされているだけで、みな操り人形なんだ。
この宇宙のバランスを保つために、それぞれがそれぞれを演じている。
キャスティングセンターは、潜象、神、普遍意識だ。
潜象、神、普遍意識は、言葉にしてしまうと、それはそれでなくなる。
その力が削がれるのだ。
それは、沈黙する。 静謐から、すべては創造される。
その忙しい条件反射の連続を休めて、
すべては幻想だったんだ~というきづきのなんかにその忙しい思考を鎮めていく。
臨在とともに。
運よければ、罪悪プログラムが一旦空っぽになったその瞬間に、慈愛プログラムがダウンロードされ、オペレーションシステムが交換される。
過去を悔いて、未来を恐れるというこの瞬間の不在から、この聖なる瞬間に落ち着くとき、選びなおされる。 W――罪悪――というOSからI――慈愛――というOSへ。
そうすると、これまでの罪悪ファイル過去の――記憶の断片――は、すべて、慈愛ファイルに徐々に更新される。
そして、記憶の断片はすべて浄化されていく。
すべてが慈愛につつまれていく。
あなたは、あなたが望む通り生きているのではない。
思う通りにならないことが思い通りに起こってきただけなのだ。
すると、肩の荷(という幻想も)過ぎ去る。
もう、背負わなくても、いかされていく。
臨在とともに。
いかされる、その歓びを味わいながらいかされていく。
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
0コメント