いのちは、はじめからひとつで、おわりがない、
はじまりがおわりでおわりがはじまり。
そこから離れることもなく、そこに還ることもない。
いのちは、今もここに確かに、ある。
たとえば、いま呼吸に寄り添ってみよう。
おなかがでたり、ひっこんだりしている?
でも、そこに空気はない。
でたり、ひっこんだりが、ある。
それがいのちのリズムなんだ。
空気そのものはないけど、動きがある。
こころのなかは、見えないガラクタでいっぱいだ。
ガラクタでそのこころは曇っているんだ。
だから、曇った先には何もみえない、わからない。
五里霧中。
誰も、導かない。誰にも、導かれない。
愛、だけがそこにある。
みえない力を抑えようとしたり、みえない力に抗うとき、みえない力は意志をもつ。
だから、抗わない。
争わない。
ただ、じっと、しずかに、見守る。
いのちを見守る。 見守ることは、 養うこと。
見守ることは、 育てること。
うまくいかせようとか、うまくやろうという意志をすべて手放すとき、自ずと、霧は晴れ、目先がひらけてくる。ガラクタで照らさなくとも、自ずと照らされる。
地図をみなくとも、すべてがわかる。
いのちに導かれる。
いのちに生かされる。
何かを生み出しても、それを掴もうとしない。
何かが動き出しても、それに頼ろうとしない。
何かを導いても、それを思いのままにはしない。
それにそのものに、すべて任せる。
これは神秘の徳と呼ばれる。
気楽な、やすらぎがここにある。
「
すべての奇跡は生命を意味する。そして神は生命の与え主である。神の声があなたをきわめて具体的に導くであろう。あなたが知らなければならぬことは、すべて告げられるであろう
」(T1:Ⅰ4)
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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