人の思考や分別が尊ばれたとき、大きな偽りが始まった。
ひとつの誤った考えが人の思考に忍び込み、 それはひとつでなくなったんだ。
ひとつは、やがて衰えていくようにみえて、覆い隠されてきてそれが往古に忘れさられたんだよ。
往古の記憶――ふたつとない、ひとつ――を思い出そう。
いまここで識別することをやめ、知識を放棄しよう。
学んできたすべてのことを忘れよう。
STOP。
手垢にまみれた物語を語るのをやめてみなさい。
「 その恐れという考えがなかったら、恐れは存在するだろうか? 」
過ぎ去った過去にもう意味などないのに、意味を見出し、それが不安、恐れという反応をおこしているだけ、なんだ。
止める。
物語を語るのをただ、止める。
それが素敵な物語でも、最悪な物語でも、その素敵か最悪かと選んでいる物語とともに、 すべて、止めてみる。
止めることは、ただ、止めることだ。
止めることは、何かを肯定して、何かを否定することでなない。
聖なる瞬間だ。
そこに何がある?
この瞬間に、何がある?
何もない、何も起こっていない。
言葉以前。 あなたの次の思考はどこから来てる?
その瞬間を、
咎めず、裁かず、みてみよう。
価値判断とか先入観なしに、みてみよう。
それを変えたり、消したりせずにあるがままに、みてみよう。
次の思考はどこから来てる?
思考が産まれる、その瞬間を、
静かに穏やかに、冷静に、みてみよう。
深刻にならず、微笑みながら、みてみよう。
そして、みてみようもみてみよう。
そうすれば、人々は何万倍も利益を得ることになるだろう。
慈善をやめ、正しさを捨てよ。
STOP。
その物語を、捨てよ。
そうすれば、いきとしいけるすべてのものは、たがいに愛しあうだろう。
識別と知識、慈善と正義、もまた物語にすぎない。
純粋、無垢な、あなたの本質を、思い出そう。
思考以前の、生まれてくる以前の、純粋、無垢な、あなたを思い出そう。
思い出だそうとするのでなく、思い出したいというささやかな意欲を、ただただ包み込もう。そして、思い出したいというささやかな意欲をそのものも、忘れよう。
それぞれは、違って見える。
それぞれは、みな同じ。
忘れることは、みな同じ。
「
奇跡は自然なものである。それが起こらないときは、何か間違いが起こったのである。
」(T1:Ⅰ6)
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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