買い物をするとき、支払うのでなく、受け取っていると、感じたことありませんか?
コンビニで支払うとき、横の募金箱に募金したこと、ありませんか?
与えることは、受け取ること。
与えることは、すでにそれが見出されていること。
まわりてめぐる。
循環していく。
むかしむかし、「一」をありがたく受け取ったものがいました。
「一」を得て、天は清らかに、なりました、
「一」を得て、地は穏やかに、なりました。
「一」を得て、神に霊――いぶき――が吹き込まれました。
「一」を得て、海は充ち満ちて、溢れました。
「一」を得て、森羅万象は、蘇りました。
これらすべて、「一」によってこうなりました。
清らかでなければ、天は裂かれるだろうし、
穏やかでなければ、地は揺れるでしょう。
霊的でなければ、神は砕けてしまい、
充満してなければ、海は干上がってしまうでしょう。
蘇ることがなければ、森羅万象は消滅するでしょう。
すべてを持つものが与えるのです。
そしてすべてを持つものが受け取るのです。
それは、ほんとは同じことなのです。
「
奇跡は癒しである。それは奇跡が欠乏を補うからである。奇跡は一時的に多くを持つ者より、一時的に少なくもつ者のために、為される。
」(T1:Ⅰ8)
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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