最後の一歩。

 I am that I am  

「すべての者が互いに互いに赦しあうであろう。なぜならば赦しによってのみあなたたちは父の家に歓びに入ることができるからである。 この本当の意味があなたたちに解っているだろうか。父の家に居る歓びをあなたたちは今までに感じたことがあるだろうか。一切の真実ならざるものより人を解放する聖なる愛をあなたたちが表現し得て始めて父なる神の至福、即ち真我は、あなたたちの中に示現するのである。今、しかも永遠に、父の家の中に居る歓びを、今こそあなたたちは体解しえたであろうか。

」(心身の神癒Ⅴ33-34) 


はじめの一歩は、最後の一歩なんだ。 

なぜなら本当は、そこから一歩も出たことがないからだ。  

あなたは延々と旅をして、遠くへ来たものだと思い込む。 

そして、最初と最後を、直線で結びたがる。 

原因即是結果なり。 最後即是最初なり。  

だから、コレコレにはコレコレが必要だと延々に語る(先送りする)のはもうおやめなさい。 

いま、ここでその観念を手放しなさい。 

 奇跡は、時間を崩壊させる。  


 奇跡は、時間の必要性を減らす学習手段である。それは通常の時間の法則からはみ出した特異な時間枠を確立する。この意味において、奇跡には時間がない。(T1:Ⅰ47) 奇跡は時間を制御するためにあなたがすぐに使える唯一の仕組みである。啓示のみが時間を超越している。啓示は時間とはまったく関係ないものだからである。(T1:Ⅰ48)

 」 

0コメント

  • 1000 / 1000

日々あらたに、毎日が、祝祭。

これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。