最後の審判。

 最初に決めたことを、もう一度、思い出してみよう。 

映画のフィルムがシュルシュルとさかのぼるように。 

最後に決めたことを、いま、思い出してみよう。 

幻想を選ぶか、真理を選ぶか。 

神に背くか、神を愛するか。 

恐怖を選ぶか、愛を選ぶか・・・。  

何を決断した? 

答えは、いらない。 

意識をそこに向けるだけでいい。  


世の礎石が置かれる前よりあなたたちの中に隠された秘密をわたしは引き出した。 もう、惑わない、幸せな夢はもうはじまっている。


 「 あなたたちは、この事業を授けるために現在地上にあるのである。 それが、あなたたちの処にわたしがやってきた理由である。わたしは常にあなたたちとともにあり、あなたたちを援助している。あなたたちには十分にわかっていないかもしれないが、わたしの言葉の数々は、真実である。何であれ信じてわたしに求めるものはその通り実現する。 」(心身の神癒Ⅴ84) 

 聖なる事業がもう躍動している。

 「奇跡は畏敬の念ではなく、感謝の念を呼び覚ますべきものである。あなたは自分の本性のゆえに、神に感謝すべきである。神の子どもたちは神聖であり、奇跡は彼らの聖性を尊ぶ。その聖性は隠されることはあっても、決して失われることはない。」(T1:Ⅰ31) 

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日々あらたに、毎日が、祝祭。

これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。