あ、う、わ、ん。
はじめにしてさいごにあった言にこころを開くにつれ、あなたたちに、真理が深まり、それと調和するようになる。
実践してきた赦しに橋が架かり、それは、ひとつになる。
「わたしは人の裡なる光である。わたしに従う者は闇を歩くことはない。わたしは世のひかりである」(心身の神癒Ⅴ94)
自灯明、法灯明・・・。
ほんとうのあなたをよりどころにしよう。
実相をよりどころにしよう。
真理をよりどころにしよう。
それは、何も分かれていない。
そこには、何も恐れはない。
ただ、歓びだけがある、しずかなる歓びが。
そこにしがみつくことなく、とどまりなさい。
ただただ無邪気に戯れなさい。
はじまりにしておわりの、はじまりも、おわりもない、久遠のなかに。
「
聖霊は最上位のコミュニケーションの媒体である。奇跡はそうした種類の親交を含まない。なぜなら、奇跡は一時的なコミュニケーションの仕組みだからである。あなたが直接の啓示による神との原初のコミュニケーション形態に戻ったときには、奇跡の必要はなくなる。
(T1:Ⅰ46)
」
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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