思考の向きを、変える。
そう考える傾向を、変える。
これはポジティブとかネガティブとか、そういう振り子の世界でなく、絶対的な、根源に目覚める、
そう、根源そのものが目覚める、観察者不在。
そこに完璧な智識がある。
頭脳にはそれはない。あわせたなにかからそれは生まれる。
そして、いま思考の向きを変えてみよう。
ただ、思考の向きを変えたいと想いだすだけで、それは起こる。
やろうとしない。
為そうとしない。
ただ、想いだすだけ。
それが観察者効果の秘訣だ。
ただ、きづくだけ。
あとは、それを起点にして、映像が変容する。
どう変容するかは、あなたには決めることができない。
あなたができることは、ただ、きづくとささやかな意欲を示すことだけだ。
そうすると、聖なる力が動き出す。
これを、魔法という人もいる、これを奇蹟という人もいる。
何と呼んでも、いいけど、名付けた瞬間にそれは消える。
たから、貼らない、レッテルを、全てのレッテルは、分離であり、制限だ。
考えるな、感じよ。
そう、思考の向きを、根源へ。
映写された結果ではなく、映写される原因へ。
必要なことは、いつも繰り返していることは、結果へ向ける意識を、原因へ。
ただ、それだけだ。
すると、結果は、自ずと整う。
原因という概念に還るのでなく、原因そのものに感応するのだ。
難しい、と、思考はいう。
思考が、難しいだけなのだ。
ただ、そうなればいいだけだ。
どうやって?
どうやってに惑わされてはならない。
おうやって?はあっちの世界の範疇だ。
だからあなたはほんとうのあなたとともに、ただ、決めるだけでいい。
あなたは決めずに、ほんとうのあなたが決めるということを、決めればいい。
飼い馴らされた知識に注意しよう、常識という思い込みに注意しよう。
鵜呑みにする習慣から目覚めよう。
何か真理かを見極めよう。
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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