いつでも、大丈夫。
どこでも、大丈夫。
みんな、大丈夫。
絶対、大丈夫。
もし、心配があるとしたら、心配したい、だけだから、心配しときなさい。
もし、誰かが気になるとしたら、それはあなたが気にしているのでなく、その誰かが気にしているだけなので、それもまた誰かに気にさせておきなさい。
みんな、みんな、大丈夫。
最初は、それは内なる小さなささやきとして聴こえてくる。
誰のささやきなのかはわからないけど、大声で騒いでいるその向こうから、もうひとつのやすらいだ声が聞こえてくる。
聴こうとせずに、自然と聴こえてくるにまかせる、こころの耳を澄ます、静かに、そっと傾ける。
そうすると、やすらぎがわいてくる。
これは、大丈夫という信念でない、そしてこれは大丈夫という観念でもない、他の誰かに励まされた表面上の気休めでもない。
そう、小さく、幽かな声だけど、完璧に透き通っている、気持ちのいい声。
いつでも、大丈夫。
どこでも、大丈夫。
みんな、大丈夫。
絶対、大丈夫。
もし、危機一髪のような状況であれば、それは危機一髪という物語を観たい、ただそれだけだ。
最近、それが、観念でなく、ほんとうにそうなんだ、ということを実感する。
でも、これもまた物語だから、鵜呑みにしないで、その根源に、そのハートに、その内なる存在に、耳を傾けてみてほしい。
そのしあわせは、世間のいうしあわせをはるかに超えて、途轍もないしあわせ。
恐れも夢、幸せも夢、よろこびも夢、たのしみも夢、すべては愛から産まれてくる夢。
真似しなくていい、オリジナルに、ただオリジナルに、世界でたったひとつのその夢をこころから愉しもう。
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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