成人して、最初の自分への質問。
「エゴ」って何なんだろう。
神に取ってかわりたいという気持ち。
自分が一番でありたいという飽くなき欲望。
それが、自分を自分で無くしていき、自分じゃない何かをひたすら肥大化させていくという結果になった。
それを経験してなお、バーストした自我が蘇ろうとしているという、しぶとさ。
生き延びよう、生き続けようという哀れさ。
エゴって何だろうという質問への問いは、今だ隠されたままだ。
理屈ではわかってもその正体は?
アメリカファースト、イギリスファースト、都民ファースト、自分ファースト・・・自分が特別でありたい、自分が一番でありたい。
ナンバーワンで無くていいけど、オンリーワンでいたい・・・。
自我は多様化して、あくまで生き残ろうとしていく。
トランスパーソナル。
自分さえよければいいという望みを超えていこう。
それは犠牲がともなうことでは、本当は、ない。
震災が起きたとき、だけ、自分だけを忘れる?
でも、日本人の深層心理には、それーー自他一如ーーを思い出すために、過去さまざまな天変地異が起こりやすい地になっているのかもしれない。
西洋風にいえば、自力、他力と分別して整理するけど、和のこころは一如にある。
あの震災から7年、また新燃岳が爆発的噴火をしている。
肥大化する欲望、肥大化する都市・・・。
分明を否定することはない・・・けど、超克していく時期に、それに目覚める時期に、きているのではないだろうか。
間違っていたと素直に訂正していく、これがほんとうのさいわいに繋がっているのではないだろうか。
それを他の概念で覆い隠すのでなく、いまこそ、自我徹観。
裁かず、咎めず、観る。
価値判断なく、無分別に、観る。
静かに、穏やかに、冷静に、観る。
深刻にならず、笑って、観る。
ただ、猫がネズミの穴を覗くように、観る。
ただ、空の過ぎ去る雲を眺めるように。
あの辛い思い出も、そこでは、さいわいに包まれていくことだろう。
観る、奇蹟。
それが、欲望の肥大化をシフトして欲望を最適化する機会を与えてくれる。
愛一元。これが自我って何のいまの解になった。
日々あらたに、毎日が、祝祭。
これまでの人生と呼んでいたものはぜ~んぶ、夢物語。 夢から目覚めたら、そこには・・・。 そんなきづきが、日々深まっている奇蹟の毎日に贈ることばを綴っています。
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