Ryokou

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さいはひという名の雛形。

フィンランドが世界で一番しあわせな国だという。おもいやりと寛容さにあふれているということ。世間体という雛形、金太郎飴。世間に倣って人生をつくっていけば、しあわせな人生・・・という昔の価値観。人生の青写真は、比較のなかにはない。比較のなかでほんとうにやりたいことがわからなくなってきた。でも、人間って、ほんとうは、生まれてくる前に、この人生で経験することを決めてきた。何か経験したい?前半の人生は、そのしたいことから離れていくこと、したいことがはっきりと納得できるように。こんなことするために生まれてきたんじゃない、ある日、きづく。きづきがなければ強制的なリセットというカタチとなるときもある。ひとぞれぞれ。今、さいわひに溢れている。ここ数日、さいはひが続いている。このさいはひから、何かが創られていくかと思うと、うっとりとする。さいはひという、あらたな生の雛形。概念としての幸福、でなく、さいはひ、そのものを、感じる、味わう。愛、たやすさ、流れ、恩寵。愛から表現していくこと、道具はなんでもいい。鍵は、而今だ。この瞬間に、すべてがすでに、在るんだ。感じては、過ぎ去る、感じては過ぎ去る、そして、そのものに包まれていく。祝祭の日々。感謝の日々。慈愛の日々。

愛一元のなかで♪

愛にすべてが包まれている、愛が内に輝いている、求めることをやめたときに、探すことをやめたときに、愛に目覚める。愛は、物語のなかにはない。物語のなかにあるのは、いつも愛憎のある愛だ。そこには、いつも葛藤がある。逃げてきて助かったからよかったという思いと、逃げ切れなかった人たちへの後ろめたさ。人生の本質は、いち抜けた~、はないってこと。分離感を、現実を信じ込んでいるうちは、必ずそこには、悲哀がある。強がったって、それは虚栄にすぎず、悲哀の裏返しだ。分離などしていなかったと、いう真理を受け容れること。それは自我にとっては耐え難いことだ。やっとこさ、神から離れたというのに、これから神に変わって世界を創ろうと思ったのにそんなことができるか、と、自我はいう。でもそれは戯言なんだ、自我のいうことはすべて幻想。過去のポンコツの寄せ集めさ。だから、忘れよう、自我のいうことは、ひとつ残らず、忘れよう。そして、根源からの波長にあわせてみよう。わたしは愛を攻撃したことはないし、いまでも愛のなかに生かされている。生老病死もまた、幻想だ。生老病死という物語を通して、人は、何かを学んでいると錯覚している。生老病死から目覚めよう。源泉を、自覚しよう、われにかえる、というのは、幻想に還ることでなく、実相に還ることだ。このパラドックス、幻想に還ろうとするのは誰なのか?その瞬間を感じてみよう。こころのなかが爆発するとき、外の世界も爆発する。こころのなかが隆起するとき、外の世界も隆起する。だから、いつも還りなさい。その源泉へ。

エゴって何なんだろう?

成人して、最初の自分への質問。「エゴ」って何なんだろう。神に取ってかわりたいという気持ち。自分が一番でありたいという飽くなき欲望。それが、自分を自分で無くしていき、自分じゃない何かをひたすら肥大化させていくという結果になった。それを経験してなお、バーストした自我が蘇ろうとしているという、しぶとさ。生き延びよう、生き続けようという哀れさ。エゴって何だろうという質問への問いは、今だ隠されたままだ。理屈ではわかってもその正体は?アメリカファースト、イギリスファースト、都民ファースト、自分ファースト・・・自分が特別でありたい、自分が一番でありたい。ナンバーワンで無くていいけど、オンリーワンでいたい・・・。自我は多様化して、あくまで生き残ろうとしていく。トランスパーソナル。自分さえよければいいという望みを超えていこう。それは犠牲がともなうことでは、本当は、ない。震災が起きたとき、だけ、自分だけを忘れる?でも、日本人の深層心理には、それーー自他一如ーーを思い出すために、過去さまざまな天変地異が起こりやすい地になっているのかもしれない。西洋風にいえば、自力、他力と分別して整理するけど、和のこころは一如にある。あの震災から7年、また新燃岳が爆発的噴火をしている。肥大化する欲望、肥大化する都市・・・。分明を否定することはない・・・けど、超克していく時期に、それに目覚める時期に、きているのではないだろうか。間違っていたと素直に訂正していく、これがほんとうのさいわいに繋がっているのではないだろうか。それを他の概念で覆い隠すのでなく、いまこそ、自我徹観。裁かず、咎めず、観る。価値判断なく、無分別に、観る。静かに、穏やかに、冷静に、観る。深刻にならず、笑って、観る。ただ、猫がネズミの穴を覗くように、観る。ただ、空の過ぎ去る雲を眺めるように。あの辛い思い出も、そこでは、さいわいに包まれていくことだろう。観る、奇蹟。それが、欲望の肥大化をシフトして欲望を最適化する機会を与えてくれる。愛一元。これが自我って何のいまの解になった。

みんな大丈夫、絶対、大丈夫。

いつでも、大丈夫。 どこでも、大丈夫。 みんな、大丈夫。 絶対、大丈夫。 もし、心配があるとしたら、心配したい、だけだから、心配しときなさい。 もし、誰かが気になるとしたら、それはあなたが気にしているのでなく、その誰かが気にしているだけなので、それもまた誰かに気にさせておきなさい。 みんな、みんな、大丈夫。 最初は、それは内なる小さなささやきとして聴こえてくる。 誰のささやきなのかはわからないけど、大声で騒いでいるその向こうから、もうひとつのやすらいだ声が聞こえてくる。 聴こうとせずに、自然と聴こえてくるにまかせる、こころの耳を澄ます、静かに、そっと傾ける。 そうすると、やすらぎがわいてくる。 これは、大丈夫という信念でない、そしてこれは大丈夫という観念でもない、他の誰かに励まされた表面上の気休めでもない。 そう、小さく、幽かな声だけど、完璧に透き通っている、気持ちのいい声。 いつでも、大丈夫。 どこでも、大丈夫。 みんな、大丈夫。 絶対、大丈夫。 もし、危機一髪のような状況であれば、それは危機一髪という物語を観たい、ただそれだけだ。 最近、それが、観念でなく、ほんとうにそうなんだ、ということを実感する。 でも、これもまた物語だから、鵜呑みにしないで、その根源に、そのハートに、その内なる存在に、耳を傾けてみてほしい。 そのしあわせは、世間のいうしあわせをはるかに超えて、途轍もないしあわせ。 恐れも夢、幸せも夢、よろこびも夢、たのしみも夢、すべては愛から産まれてくる夢。真似しなくていい、オリジナルに、ただオリジナルに、世界でたったひとつのその夢をこころから愉しもう。 

蘇生・・・あなたがあなたであれるところ

とき、ところという、魅惑な煙幕からめざめる。

とき、は、ない。分離という幻想を、維持するためのただの方便だ。死は、ない。氷が水になり水が水蒸気になって蒸発し、そして、水になり、大洋に還る。ただ、カタチが変わっていくだけだ、死も同じように、見た目変化するだけで、本質は、久遠常在だ。これが人生だと信じ込んでいる固定観念を逆転して、人生があなたのなかで好きなように表現されるがままに、してみよう。人生は、ときとところに惑う、それはそうあるべきだとか、こうせねばならぬという闇の掟守ることがしあわせだという信じ込みを鵜呑みにして、あなたのほんとうの根源の望みに素直で在ることから遠ざける。失敗したから、もうダメだとか。女だから、ダメだとか。学歴がないから、ダメだとか、もうこの年だからダメだとか、障害があるからダメだとか、こんな田舎ではダメだとか、ほんとうに好きなことから遠ざける、贖罪と犠牲の美談。あなたはあなたと和解することで、これまで遠ざけてきた、ほんとうに好きなことと向かい合うことができる。それは、考えてきたことでないかもしれない、またそれは比較してこしらえるものでないかもしれない。思いもよらぬことになるかもしれない。ダイアログ イン ザ モーメント。この静謐が語ってくることにこころの耳を傾けよう。思索、分析、分別、比較、わけていくこと、細分化していくことでほんとうにやりたいことを見つけるという傾向を思い切って手放そう。トライ アンド エラー、トライを繰り返しながら最適化していく。ときとところという観念をつかってときとところを取り消して、いつでも為る、どこでも為る、だれでも為る。間違いを取り消して、間違いを手放して、根源から感じる、根源が感じる、そのすべて。想ったこともない、すばらしさのすべてが、もう、この瞬間にある。それを丁寧にこの愛に包み込んで、育てていこう、あなたとともに。

妙好な、ひとから、妙好な、ひとへの聖なるバトン。

至福のバトン、これから新しいカルマのカタチ。負債を引き継ぐのでなく、至福を引き継ぐ。託すと担う、マワリテメグル。「まかせなさい」「ハイ」ただ、それだけ。サムシンググレートへすべてをゆだねるということを、決める。近代化を、超克して、久遠常在を迎え入れる。これまでの人生の常識を刷新しようというより、これまでの常識だと思っていた人生から目覚めよう。本当に大切なこと。これが本当に大切なこと。自他一如。ひとつ。近代化のOSを、いまここでアップデートする、すると、こんなくらしになっていく。魔法の世紀、というようなことで、もう実現している人たちが次々と、おめみえしているね。世界人類が、しあわせで、ありますように。ありがとうございます。 1)自分本来のいつも変わらぬ情熱、使命を追求できるような仕事に変わる  2)今まで経験したことのない経済的な豊かさ  3)ほとんどの夢が安易と叶う  4)新しいパートナーや恋人に出会う。伴侶の問題がなくなり自分との関係に集中できるようになる。互いに愛し尊敬しあいながらも依存し合わない。  5)もっと進化して完全に生き写しである自分のツインフレームと一つになる。  6)物事に対する拘りがなくなる、重大なことがなくなる。ドラマや感情の嵐という古い状態から抜け出る。  7)ニューエイジ”ブームに関心がなくなる。  8)必要なことは満たされ、今後もそうなることを「知っている」。  9)物事を変えようとか、一生懸命やろう、直そうなどの欲や必要性がなくなる。  10)分析的、思考的作業に関われなくなる。今を”感じる”ことだけに関わる。  11)人からどう思われようと、物事に対して人がどう考えようと気にしなくなる。 12)悪い良い、正しい間違い、白黒がないとということを知っている。すべてはただあるだけ。13)結局闇も光もないことを悟る。光のない状態は、ただ最善と思えることを創造するためのコントラストを生み出しているにすぎない。エネルギーは常に光を保つ方向で動いている。 14)源ともっと繋がると本を読むとか新しい情報を集めようとする欲や関心を失う。直接「いる」「感じ」「知って」分かる(情報収集できる)のである。 15)健康になり、奇跡のように長年の体の不調が治る。 16)何事もシンプルさを求め、シンプルなライフスタイルを求めるだけになる。 17)人生がゆったりと流れ、特別なことをやろうとかしたいという必要がなくなる。すべてが膝の上に落ちてくる。日向ぼっこをして楽しみながら人生がシンプルであることに感謝するだけになる。 18)自分の役割だけをしたいと思い、決まりきったことや””責任”はなくなる。ほとんどのことを手放すと、純粋な、自分の神聖さを表す金塊だけが後に残る。こうして新世界に貢献をする。  19)他の人の感情、思考、欲望、ニーズをキャッチしてテレパシーで感じる。  20)自分の感情や経験を思いのままにでき、疑い、恐れることなくマインドと意図で自分の現実を創る。 21)環境に影響されることが殆どなくなる。自分のこととして考えなくなる。気にするようなことがなくなる。22)何かを創造したいという渇きに似た抑えがたい欲求がある。膨大なエネルギーが自分を駆け巡りその出口を探す。情熱とクリエイティブなことをしている時には、ほとんど故郷にいて源と繋がっていると感じる。 23)よく笑い、楽しくおかしいと感じてしまう。 24)生きるものへの深い愛があり思いやる心が大きくなる。愛と喜びがだんだん増し行く状態を経験している。25)”計画や予定”で生きるのではなくその瞬間に生きている。日々、瞬間瞬間、物事はひとりでに現れ、ストレスがなくなる。26)驚くほどの平和を感じる。恐怖や全くなくなり、安心している。 27)子供のように戯れ合い遊ぶのは好きだが、インナーチャイルド(傷やトラウマ)が消えたかのようになる!28)すべてが繋がっていることを理解し始める。何も間違いがないことが分かる。(アセンションのサイン by Liora)彷徨う道は無数に見えるが、還る道は、ただひとつ。